当たり前は本当に当たり前なのか?

赤ちゃん、お腹空いてると怒るように泣く時がある。

ミルクあげる前に、下唇を指でつつくと怒るのやめて口あけて数秒待機するのが楽しくてついやっちゃいます。

妻が頑張ってくれているのもあるけど、今のところ事前情報より育児がとても大変という状況ではない。

あんなに当然のように「時間がなくなる」「夫が協力しない、できない」みたいな話を聞いてきた自分としては驚きな反面、そもそも「当たり前」とはなんだろう?と考えていました。

こういう場合、よくある「大企業」「高学歴」「公務員」「真面目」とかそういうワードで話を展開するべきなのでしょうが、今日は少し視点を変えたいと思います。

一人一人生まれた環境も違えば生まれ持ったDNAも、育った環境も異なります。一卵性双生児であっても違う親のもとで育てられれば全く違う人生を歩むことになるでしょう。

極端な話、生まれてから制約がなければ「当然」という考え自体が存在しなくなりますよね。(極端な話ですよ?)

では全く異なる性質を持った人たち(極めてごく自然的に発生した存在)の中で「当たり前」を作りたい場合とはどのような状況でしょう?

私は自分に都合の良い環境を作りたい時だと思うんです。

規模は問いません。

家族、親族、友人、会社、自治組織、国、世界、LineやTwitterのコミュニティ単位で該当するはず。

自身が優位に立てるときに、自分や所属しているコミュニティの主張を通すため「それは当たり前だ。こんなにも大多数の者が同じように考えている」と言いたくありませんか?

もし自分の周りが自分以外知らないことがあったら、、私はそうします。笑

そんな映画出ましたよね。もしビートルズをみんな知らなかったら。という内容の映画。確か映画の中ではみんなの無知を良いことに大ヒットして億万長者みたいな予告ですよね。(実はまだ見ていない)

常識は万人受けが良いほど良くて、映画のように元から良い音楽は自然と「良い音楽」という常識に昇格します。

同じように全員が同じような給与テーブルで、年金含め将来設計がされた状態を当たり前としたらどうなるのか?というのがここ最近私が思っていること。今の日本ですね。

ここからは冒頭にあげた一連のワードとつながるので省きますが、経営をやってみればこの仮説が正しいか検証することができるのでは?と実証の方向に私は動き始めています。

何事も飛び込んでみなければわからない。それが本当に当たり前なのか、実際に自分で体感してみようと最近強く思います。

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